不安過ぎて将来のことを考えたくない

「将来」というのは、誰もが不安なものです。

それが漠然としたものであれば、尚更のことです。

今現在・現状でさえ、全く不安のない人間は珍しいものですが
その毎日の積み重ねの先にある、いつまで続くか分からない人生の中では
何が不安なのか、何を不安に思うべきかも分からないことが、また不安でもあります。

何より、「人より困難が多い人生」を歩んでいる人であれば
あらゆる生きるためのリスクが多いはずであり、
それに伴って、不安が大きくなるのは当たり前のことと言えます。

将来と不安

これらに共通している点として、<考えればきりがない>ことが挙げられます。

それが合いまった条件では、より悩むことは当然のことです。

1つとして、同じ人生がない前提があるうえに、
1つとして、これから先同じ方向を歩む人はいません。

しかしながら不安だからこそ、人よりリスクが多い人生であればこそ
一度冷静に「現実的」な要素を整理して、改めて覚悟を持つ必要があります。

考えたくないことがたくさんある人こそ、考えなければならないことです。

諦めることには何の価値もない

そもそも将来を考えるというのは、<その先も生きる>ということが前提です。

が、しかし、それが希望に満ちているかどうかは
20代後半くらいにもなれば、ある程度は想像ができてしまうものでもあると言えます。

無限の可能性がある!というのは、全ての人に共通する格言ではなく
絶望しかないわ・・・」という人というが、現実にはたくさん存在します。

  • 引きこもり
  • 無職
  • ワーキングプア
  • 心身のトラブル

例と挙げればきりがありませんが、「親が死んだら終わり」という人は珍しくありません。

そのため、決して<前向き>に考える必要はないはずです。

ダメならダメなりに、「いかにして生きるべきか」を考えていきましょう。

「不安」であることは「期待」のあらわれでもある

そもそも<不安に思う>と言う時点で、人生に「期待」が残っています。

自分がかわいい状態です。

本当に絶望している人間というのは、不安にさえなりません。

そのため、不安に思うことができているのであれば
可能な限りよいものにするために、建設的に考えていきましょう。

不安が絶望を招くのか

絶望が不安を招くのか

冒頭では、<諦めているなりに頑張る>としましたが
諦めてしまっている状態では、将来のことを考えるという発想は持てません。

また、「不安になりたくないから将来のことを考えない」という発想も同じものです。

しかし<それでも生きていく>のであれば、将来が来ることは避けられません。

そうであるならば、やはり希望を持つしかありません。

特に昨今、「親の年金で生きている人間」が問題となっています。

普通の感覚であれば、「いなくなった後のことを、考えないのかな?」と思うはずです。

  • 考えることができない
  • 考えていても何もできない

両方のケースが考えられませすが、
いずれにしても、「その時」がやってくることは避けられません。

そしてこの「親の年金をあてにしている」ということと
「年金だけあてにしている」ということは、それほど変わらないことになってくるはずです。